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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)7847号 判決

原告

槇島喜子

被告

大本好己

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金七五〇万円及びこれに対する被告大本好己については昭和六二年一〇月二三日から、被告日産火災海上保険株式会社については平成二年一〇月二五日から、各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告大本好己は、原告に対し、金三五〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月二三日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告日産火災海上保険株式会社に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

五  この判決は一、二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告日産火災海上保険株式会社に対する請求につき、遅延損害金の割合を年六分とするほかは、主文同旨

第二事案の概要

本件は、交差点内で発生した交通事故の被害者が、加害車の運転者に対して民法七〇九条に基づき損害賠償を、その自賠責保険会社に対して自賠法一六条に基づき損害賠償額の支払いを求めた事件である。

一  争いのない事実など

1  事故の発生

左記の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六二年一〇月二三日午前八時五七分頃

(二) 場所 大阪市西区南堀江四丁目三一―二一先交差点

(三) 加害車 普通貨物自動車

右運転者 被告大本

右自賠責保険会社 被告日産火災

(四) 被害車 自転車

右運転者 原告

(五) 態様 本件交差点南側の横断歩道を東から西へ進行中の被害車に、同交差点を西から南へ右折しようとした加害車が衝突した。

(六) 責任関係 被告大本には、本件事故の発生につき、前方不注視などの過失がある(甲七の一ないし一〇)。

2  入通院

原告は、本件事故後、次のとおりの入通院治療を受けた。

(一) 笠原クリニツク

昭和六二年一〇月二三日から同年一一月三〇日まで通院(実通院日数七日)

昭和六三年一〇月一四日から同年一一月一〇日まで通院(実通院日数四日)

(二) 住友病院

昭和六二年一一月六日から昭和六三年七月四日まで通院(実通院日数二〇日)

(三) 日生病院

昭和六三年一一月九日から同月一六日まで通院(実通院日数三日)

同月一七日から同年一二月二三日まで三七日間入院

(これらの事実は、甲八、甲九、甲一四の一二によつて認める。)

二  争点

1  本件事故と摘脾との因果関係

(一) 原告

原告は、本件事故により、加害車の右ヘツドライト部分に衝突し、その反動で加害車のボンネツトにはねあげられ、更に、路上に落下し全身打撲の傷害を負つた。そして、原告は、事故直後より、疲れやすくなり、昭和六三年春ごろより腹部に鈍痛を感じ始めた。そして、住友病院医師らに対して、疲れやすいと訴え、胃薬などの投与を受けたり、売薬を服用したりしていたが、その後全身疲労はますます激しくなり、笠原クリニツクで、同年一〇月中旬に血液検査、同年一一月初旬には胃のレントゲン撮影を受けたところ、脾臓が膨張しているという診断を受け、日生病院に入通院し、摘脾、肝左葉部切除の手術を受けた。なお、原告の右症状は、術前には、脾嚢腫と診断され、左悸肋部に子供の頭位の腫瘤を触知する状態であつたが、摘脾後の組織診の結果脾仮性嚢腫と診断されたものである。

そして、この右脾臓仮性嚢腫は、本件事故により発生したものである。

本件でなされた鑑定(沖永鑑定)は、(本件)仮性嚢腫は、本件事故に起因する可能性が高いと判断しており、この鑑定は正当である。

(二) 被告大本

因果関係は否認する。

加害車は接触後二メートルで停止しており、その衝撃態様はさしたるものではなく、また、原告も車の前面に右足を当てられ右側を下に地面に倒されたものに過ぎない(甲八・二頁)。ところで、脾臓は人体の左上腹部にあつて下腹肋骨で前面を保護されており、左上腹部、左下胸部、左側腹部などを強く打つた際に損傷を受け、多くの場合左下部肋骨の骨折を伴うと一般に解されているところ、本件事故により、原告はそのような部位を負傷しておらず、脾仮性嚢腫が外傷によるものであるとしても、本件事故以外の他の原因に起因するものであり、本件事故程度の打撲は本件事故以外の日常生活においても十分あり得るものである。

沖永鑑定は、過去の報告例と一般的医学知識から推論をおこなつたに過ぎず、また、結論としても因果関係を示唆するといつた程度にとどまるもので、因果関係について高い蓋然性を肯定したものではない。

(三) 被告日産火災

本件事故により、原告、脾臓付近を負傷していない。また、本件事故と脾仮性嚢腫発現との間には、一年以上の隔たりがある。したがつて、本件事故と脾仮性嚢腫との因果関係は認められない。

なお、沖永鑑定は、脾臓仮性嚢腫を形成するような外傷があつたかを検討せず、そのような外傷の存在を前提して推論しているに過ぎない。また、同鑑定は仮にこのような巨大な嚢腫が外傷前から存在していたならば、事故の衝撃の強さから考えて、外傷時に破裂を起こしていた可能性が高いとしているが、外傷時には嚢腫は極小であつたか、あるいは全く存在しなかつた可能性が大きいし、そもそも本件事故は脾臓嚢腫を破裂させるような事故ではない。

2  その他損害額

第三争点に対する判断

一  本件事故との脾仮性嚢腫との因果関係について

1  事故状況などについて

(一) 前記争いのない事実に証拠(甲七の一ないし一〇、甲八、原告)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 本件事故現場は、東西に通じる道路と南北に通じる道路が交差する交通整理の行なわれていない交差点上である。道路幅員は、東西道路車道が七・六メートル(なお、両側に歩道がある。)、南北道路が本件交差点の南側で八・二メートルである。本件現場付近の道路は、いずれもアスフアルト舗装され、平坦である。

本件事故当時、本件道路の路面は乾燥していた。

(2) 被告大本は、加害車を運転して、東西道路を東進し、本件交差点を右折し、南北道路を南進しようとしていた。そして、本件交差点西側でハンドルを右に切つて右折を開始し、本件衝突地点手前一・五メートルの地点で、本件交差点南側の横断歩道上を西進中の被害車を認め、危険を感じて急ブレーキをかけたが本件衝突現場で被害車に衝突し、被害車及び原告を三・八メートル離れた地点に転倒させ、自車は衝突地点から二メートル進んで停止した。

(3) 本件事故直後において、原告は、本件事故により、右骨盤、右肩関節、右上腕外側、右肘関節、右前腕外側、右手関節部、左胸鎖孔乳突筋部、左母指、左下腿内側を打撲(腫張と皮下いつ血)し、右下腿外側、右足関節外側を擦過する傷害を負つたものと診断された(笠原クリニツク医師作成の昭和六二年一〇月二六日付診断書・甲七の七)。

(4) なお、笠原クリニツクのカルテには、本件事故状況として、自転車で走行中、自動車に右側から当たられた、車の右側ヘツドライトに右膝を当てられ飛ばされ、右側を下に地面に倒されたと記載されている(甲八・二頁)。

(二) なお、被告大本は、被害車を発見した際の加害車の速度を、時速約一五キロメートルであつたと警察官に対して供述しているところ、この供述は、一般に認められる制動距離関係(一般に空走時間は〇・八秒、摩擦係数は〇・七とされており、これによれば、時速を一〇キロメートルとした場合、制動距離は、空走距離二・二二メートル、実制動距離〇・五五メートルの合計二・七七メートルとなり、一五キロメートルとした場合、制動距離は、空走距離三・三三メートル、実制動距離一・二四メートルの合計四・五七メートルとなる。)ともおおむね整合しており信用できる。そして、右一般に考えられている制動距離関係と本件における加害車の速度及び制動状況を考えあわした場合、前認定の被告大本がブレーキをかけてから衝突するまでに加害車が進行した距離一・五メートルは空走距離の範囲内にとどまるもので、加害車はそれ以前の速度をほぼ減じないまま被害車に衝突したものと認められることになる。

2  治療経過及び医学的知見などについて

(一) 前記争いのない事実に証拠(甲一ないし甲六、甲八ないし甲一一、甲一四の一ないし一四、甲一五の一ないし二六、甲二三、証人竹内、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠は存しない。

(1) 原告は、本件事故後、笠原クリニツクや住友病院に、右股以下ないし足の痛み、右肘以下の痛み、左手などの痛み、更には時には頸部痛などを訴えて通院し、投薬などの治療を受けた。そして、それらの痛みのうち、右膝、右足関節痛は、昭和六三年七月四日当時に至つてもなお持続した。

(2) 原告は、昭和六三年一〇月一四日、笠原クリニツクにおいて、全身及び肝臓の癌、膵臓、B型肝炎の検査を、同月二〇日血糖値の検査を、同年一一月二日胃透視の検査を受け、胃透視検査の結果、胃の圧排像を指摘され、日生病院に紹介された。

(3) 原告は、同年一一月九日、日生病院において、診察を受け、CT検査などを受けた。このCT検査の結果、左腹部に一二センチメートル大の塊が確認され、脾は外上方に圧排され、膵は下部は下方に圧排され、塊の下縁は左腎上部に一致し、塊の内部は液状で、成分は単なる液体というより内部エコーが強く血腫など細胞成分が強いものが考えられるとされた。また、原告は、同月一一日造影剤検査を受け、この結果左側腹部に一三センチメートルかける一〇センチメートルの低吸収域があり、嚢腫状を呈し、脾臓を上外側に圧排している、膵臓自身は下方に圧排し、脂肪部分がある、脾臓自身か周囲の嚢腫と考えるとされた。

そして、原告は、入院の上精査を受けることになり、昭和六三年一一月一七日から同年一二月二三日まで日生病院に入院し、この間、同月二日、摘脾及びこれに癒着していた肝左葉辺縁の切除を受けた。

その摘出された組織についてなされた病理学的検査の結果では、嚢腫壁内面に上皮細胞は認められなかつた。

(4) なお、日生病院のカルテには、昭和六三年春より全身懈怠感、心窩部痛、ゲツプ頻回、同年六月より心窩部痛増強と記載されている。

(二) 証拠(甲一六ないし甲二二、証人竹内、鑑定)によれば、次のようにいうことができ、この判断を覆すに足りる証拠は存しない。

(1) 脾臓は、左上腹部にあり、第一〇肋骨にそつてのびる器官であり、平板な脾臓の上面の大部分は横隔膜に接し、下面は腹部内臓側に向かい、腎臓、胃、左結腸に接する。細網組織で血液をこす機構によつて、血液の産生、赤血球の破壊、生体防御、貯血などの作用を行なう最も大きなリンパ器官である。

(2) 仮性嚢腫の発生要因としては、外傷の頻度が最も高く、発生の機序としては、外傷、脾被膜下損傷、出血、血腫被包化、血腫吸収・線維性嚢胞壁形成、漿液性液体貯留、嚢腫形成という経過をたどるものとして理解しやすく、外傷から発見あるいは症状発現までの期間が長いのは、右の様な変化が緩徐であることから容易に推定される。そして、その期間としては、一年ないし二〇年というものが報告されている。

(3) 嚢腫が存在したとしても、嚢腫の存在による圧迫症状以外他の症状は表れにくく、嚢腫は徐々に大きくなつたと推定されるので、自覚症状の発現が昭和六三年春頃であるか、同年一〇月頃であるかは、因果関係の判断にはそれほど大きな影響を与えない。

(4) 本件のような嚢腫が本件事故以前に存在していたとしたら、事故の衝撃の強さから考えて、事故時に破裂を起こしていた可能性が高い。

(5) 腹部右側を打撲した場合に、腹部左側にある脾臓が嚢腫になる可能性も、上腹部は肋骨弓という硬い組織で囲まれているところから、頭蓋骨という硬い組織で囲まれている頭部打撲の場合にかなり見られるように、希有ではあるが肯定される余地があるし、体表に残る傷害がなくとも、内部臓器の傷害は起こり得る。また、仮性嚢胞全体から見た場合、左下位肋骨骨折を来した事例は少ない。

3  判断

加害車が被害車に衝突した際の速度が時速一五キロメートル程度であつたと認められたこと、自転車に乗つていた原告は、この事故の衝撃により、三・八メートル離れたところのアスフアルト路面上に転倒していることは既に認定したとおりである。そして、この認定事実によれば、自転車を運転中という、自己の身体を防御するもののない状態にあつた原告には、本件事故により相当に強力な、一般の日常生活では通常体験しない程度の衝撃力が加わる状況にあつたものと考えられる。

また、本件事故状況及び原告の受傷内容から考えた場合、原告は、身体の右側を下にして地面に倒されたものと認められるものの、その受傷部位は右骨盤、右肩関節、右上腕外側、右肘関節、右前腕外側、右手関節部など打撲、右下腿外側、右足関節外側を擦過し、右肩、右上腕から右腰部、右下腿、右足に及ぶ広い範囲に打撃を受け、あわせて左胸鎖孔乳突筋部、左母指、左下腿内側などをも打撲するなど全身打撲とも表現し得るものであるから、左腹部を直接打撲した証拠がないことをもつて、本件事故と本件仮性嚢腫との因果関係を否定することは短絡的な発想といわざるを得ない状況にある。

そして、先に認定の事実とこれらのことを考えあわした場合、本件仮性嚢腫が本件事故に起因するものと認められることになる。

なお、原告が、昭和六三年春ごろから腹部の自覚症状を訴え始めたことについては、原告本人尋問の結果及び同年一一月過ぎに作成された日生病院のカルテによつてしか確認できないが、この点は、鑑定人が指摘しているように、因果関係の判断に影響を与えない。

三  損害額について

以上の判断を前提にして損害について判断する。

1  治療費(請求額二九万六〇一〇円) 〇円

証明がない。

2  入院雑費(請求額四万八一〇〇円) 四万八一〇〇円

原告の前記入院は、本件事故と相当因果関係がある入院ということになるところ、右入院期間(三七日間)中の雑費としては、一日当たり一三〇〇円の割合による右金額を認めるのが相当である。

3  休業損害(請求額五二万四七八四円) 五〇万五四一八円

原告(昭和一八年三月一四日生)は、本件事故当時、四四歳の女性で、主婦として家事労働を行なつていたことが認められる(甲一五の二六(家族構成)、原告本人)。

したがつて、原告は、本件事故に遭遇しなければ、前記認定の実通院日(合計三〇日間)及び入院日(三七日間)について、昭和六三年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計・四〇歳から四四歳までによる平均年収額二七五万三四〇〇円程度の財産上の収益をあげることが可能であつたものと推認することができる。

そこで、右年額を算定の基礎として休業損害を算出すれば、次の計算のとおり五〇万五四一八円(円未満の端数切り捨て、以下同様)となる。

(計算式)

2753400×67÷365=505418

4  着付学校費用(請求額四万円) 〇円

原告は、本件事故当時通つていた着付学校に、本件事故のため通学することができなくなり、昭和六三年一月から三月にかけて補習を受け、その費用として四万円を払つたと主張するが、この点に関する証拠はない。

5  逸失利益(請求額一八一四万四八六六円) 七二五万九九九九円

前記認定及び甲二によれば、原告は、本件事故による仮性嚢腫のため摘脾となり、脾臓を喪失したものということになるところ、脾臓の機能についても前記認定のとおりであるから、原告は、右後遺障害により、症状固定と診断された平成元年三月頃(当時四六歳)から六七歳までの二一年間につき平均してその労働能力の二〇パーセントを喪失し、それに相応する財産上の利益を失つたものと認めるのが相当である。

そこで、前記平均年収額二七五万三四〇〇円を算定の基礎とし、ホフマン式計算法(ただし、用いるホフマン係数は、事故時から六七歳までの全期間に相応するホフマン係数と事故時から右四六歳に達するまでの期間に相応するホフマン係数の差)により年五分の割合による中間利息を控除して後遺障害による逸失利益の事故当時における現価を算出すると、次のとおり七二五万九九九九円となる。

(計算式)

2753400×0.20×(15.0451-1.8614)=7259999

6  慰謝料(請求額七六四万円) 六八四万円

以上に認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故による慰謝料としては六八四万円(入通院分八〇万円、後遺障害分六〇四万円)が相当であると認められる。

(以上、1ないし6の合計額は、一四六五万三五一七円である。)

7  弁護士費用(請求額一〇〇万円) 一〇〇万円

本件訴訟の審理経過及び結論によれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、右のとおりと認めるのが相当である。

三  結論

以上によれば、本訴請求は、被告大本に対して右損害賠償内金として一一〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六二年一〇月二三日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被告日産火災に対して七五〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成二年一〇月二五日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金(なお、自賠法一六条の請求権は、商行為によつて生じた債務に当たらないから、商事法定利率によることはできない。最高裁判所昭和五七年一月一九日判決民集三六巻一号一頁)の支払いを求める限度(ただし、各被告の債務は連帯)で理由があり、その余は理由がない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井英隆)

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